遥か遠くの走馬灯にて。
目が覚める度に頬が濡れているのに気付く。
今更後悔しても遅いとは思うのだが、時折昔に戻りたいと思う事が年々、指数関数的に増えてきている。
今までわたしは何がしたかったのか。
もう自分にも分からない。
そんなものはとうの昔に置き去りのまま、時すでにおすし、だった。
さて、何故このタイミングでこのような思考を巡らせているかの話だが、強大な不安要素隔離が生まれたからだ……と思う。
わたしは「隔離」に怯えていた。
過去に「中学受験」という隔離を経験したことがある。
嫌いな人間との関係をリセットするためだった。たったそれだけだった。
そのために、大好きな人との関係も失った。
隔離がまた一つ後悔を生んだ。
そこからだろうか、春に対して酷く恐れを抱き始めた。
ただただ別れだけが肥大化していた。
全てが怖くなった。ただそれだけのことだった。
遂には仲良くなることすら敬遠する様になっていた。
『出会いがなければ別れもない』
きっと春が来れば、またわたしは忘れられてしまう。
きっと暫く消えていれば、またわたしは消えてしまう。
記憶からの「死」を、恐れるようになっていた。
そんな最中の走馬灯だ。
あり得ない光景が、夢の中で繰り広げられている。
何故わたしは遅刻したんだ。
何故あの子がここにいるんだ。
何故同じ電車に乗っているんだ。
何故同じ駅で降りているんだ。
……いつも後になってから気付くことばかりだ。
夢は残酷だ。一寸の光が差し込んだと思えば、たちまち消えてしまう。
それを現実のものと捉えてしまい、勝手に哀愁に浸るばかりで。
どうしても、夢とは認識出来なかった。
その心底には、一寸ばかりの期待と大さじ5杯の後悔があったのかもしれない。
どっちにしろ、今は分からない。
全て夢の中に置き去りにしてきた。
凄く、怖い。
だから隔離をきっかけに、自分から隔離することにしたい。
私のメンタルと飽きっぽさが悪い方向に向かないことを祈って、ただただその時を待ちわびる、そんな自分が居る気がしたのは気のせいなのだろうか。
P.S.
何となく小説っぽくなったので、なろうにも上げてみました。
いつも通りの、需要なんてないただの自己満足ですが一応という体で。
こちらからPhantasmagoriaをお読みいただけますが、この記事と全く同じになってます。